本を読んでいて、深く感動することがある
しかしどう感じるかは様々である。

本によっては、感動の渦が滔々と僕に流れ込み
その流れにぼくはのり、いつまでも読んでいられる気持ちになる
事実そういう本は3時間、4時間は軽く読んでいられるのだ


しかし、長丁場読んでいられない本もある
つまらないわけではない
あまりの内容の深淵さに、僕自身が持ちこたえれないからである

自分の中の均衡がバラバラにされてしまう。
読み続ければ、さらにぼくは切り刻まれてしまうだろう。
ぼくはあらゆる自分の切断された断面を見る、目にできないほどの醜さだ。

こういう本を読むのは辛い、辛いがこのような本に会うのは幸福である。
本が自らを諭すわけだから、ぼくは無言で打ちひしがれる。

しかしバラバラになったものは戻さなきゃいけない
この作業は自らを救う作業である。
自らを救うなんて、日常で考えたくないことだ。
しかしこの時ばかりは生死を彷徨うわけだ、生きるために自らを救わなければいけない。
そこには幾つか物語る必要がある。

俯瞰するように努めてた日常を、自分に還元しなければならない。
そこでは空間との調和が必要になる。一人よがりの思い出は寂しいものだからね。
あらゆる一瞬を永遠にみたてて、イメージを錯綜させ、詩を一編書いてみる。
喜びや慈しみが頬に触れ、その滴るような質感に耽溺する。


これはぼくが体感するイメージだから、皆そうなるわけではない。
でも自らを救うってことは容易じゃなく、慰めでもダメ出し、偽りなんて救いにならないから
本当に自らを救わなければならないのだから、バラバラになった自らを溶かし、万象と繋がらなければ、そしてそこからまた自らを抽出しなければならないのだから。




しかし、このプロセスが自分に根をはらす作業である。
自分という木を肥らせ、豊かにする作業である。
そういう風にぼくは思う
果てしなく思う

ただそれだけだ。
だから
読書が好きなのだろう笑

今日は休みで、本をずっと読むと決めた。