常緑
常盤

不変なるが生きるその生命に
しかし落葉し零れだした日々の愁いに



私は 気付きながらも
目を時折伏せては
祈るように
その舞い散る美しさが
どうかこの一瞬間とは言わず
永遠なるものであれと
願わずにはいられない





愛が今しがた
閨の隅にぼやぼやと浮き上がっていた
寝床の中で私は
ふとあなたの夢を見た気になり
それはだんだんと確信に変わっていき
頬に触れるあたたかさに歓喜した










だんだんと自分の歩みを
感じれるようになってきている
それが嬉しい
ただただ嬉しい


夙に この想いを果てぬ先の先へと追うように慕いながら

夜明けから今までが まるで氷つてしまつたかのようで

目を離せば溶け出した 蘇つたようなこの息吹が

私のちいさな命の上を 滑つて戯れて

渦を捲いて立ち去っていく

見送るその時分 満たされた寂寥が

横溢と私の心に注がれて

無辺際へと出かけていく魂に

あなたたちの愛だけが 神々しく時雨れているのです

その運命だけが私の喜びだと しばらく耳をすましていたのです


チターの響き ワルツの足取り 午後に曙が見出でたようです


"Geschichten aus Garmisch-Partenkirchen" Georg Freundorfer 1935 - YouTube



時の概念なんかにもう騙されない

時が進むとか流れるなんてことはない
時は時としてそこにいるだけだ
人や物と同じように存在してるだけだ
そして同じように生きていて
同じように少しずつ変わるだけだ




時計の針が進むのは
時計の針が進むようにできてるだけのことだ
日が昇り沈むのも
地球が自転してるだけだ

朝が来て昼が来て夜が来ることが
時だなんて僕は思わない


一秒だなんて単位が
時だなんて僕は思わない


時はもっと生きていて
すごくいい奴だ
ちゃんと笑いかければ笑ってくれる
優しい奴だ
ユーモアや、あっと驚く天稟さも持ち合わせている

時は単一のフォルムにおさまることはない
生きているものはすべて、その存在を超えていくものだ
時は常に時であって、それをまた超えていくのだ


時を恨んだり、時に命乞いをするようなことはやめた
そんなの全く意味がない
時と共に生きることだけを考える
愛する人と共にするように
同じように時と付き合うのだ


時に今も昔もなくて
時はただずっとそこにいる
生きている












あけがたの人よ

東雲の薄明りに

湿潤と滴るあなたの命が

宙宇を満たして まつしろだ


あけがたの人よ

存在への遡行が

彷徨う波間に流された

私は憐れな泥炭で

あなたのとうめいな手が

顫音奏でる

妙趣たる春と修羅